アブラ州トゥボ出身。高校時代にCGNが主催した演劇ワークショップに参加。さまざまな先住民族の青少年たちによる演劇グループ「アナク・ディ・カビリンガンAnak di Kabilingan」のメンバーとして日本での環境教育プログラム&民話をベースとした演劇公演に参加した。
いまも伝統の暮らしの色濃く残るアブラ州で、竹楽器の演奏者、伝統舞踊の継承者として、民族伝統舞踊のグループなどに参加してきた。
2017年には、インドネシア・アチェでの鉱山開発問題をテーマとした演劇「Balitok」と国際交流プログラムに参加。2018年には上田市の犀の角シアターでの公演「PAYO-Voices from the community」に俳優としてイフガオ州の教員などとともに参加した。
CGNがコーディリエラ各地で行っている環境教育ワークショップには、学業の合間を見てファシリテーターとして参加している。
2024年、Asia Meets Asiaの韓国・釜山と東京でのパフォーマンス公演に参加予定。
2012年のマウンテン州サバンガンでの環境教育プログラムにボランティアとして参加。ボントク族とイバロイ族の血を引いているが、バギオ生まれのバギオ育ち。大人になってから先住民族としてのアイデンティティに目覚め、山岳地方でのコミュニティ調査に関わってきたそう。バギオの若手ライターたちのグループ「Ubbog Cordillera Young Writers」のメンバー。環境教育プログラムのファシリテイター、スタディツアーのコーディネイターとして活動してきた。
フィリピンではコロナ禍で厳しいロックダウンが2年以上続いたが(2020年3月~)、その間にカソリック教会のコミュニティサポートチームに加わりコーディリエラ各地を訪問。その活動が評価されて2023年よりバギオ教区のソーシャルアクション部で環境保全のための活動を担当する職員となった。
その後も、休日などを利用してCGNの環境教育プログラムにファシリテーターとして参加してくれている。
コーヒー専門家。コーヒー栽培からカッピングまでコーヒーのすべてに関する専門知識をもつ稀有なスペシャリスト。大学の卒業論文でコーヒーをテーマに取り上げたことをきっかけにコーヒーにのめり込む。卒業後、自家焙煎珈琲店で修業し、焙煎と抽出の専門技術を身につけたのち、コーヒー生豆問屋に転職。世界各国から輸入されるコーヒー豆を毎日50種類以上カッピング。微妙な香りと味を生み出すコーヒーの栽培現場を知りたいと、2013年よりフィリピン・ベンゲット州国立大学(BSU)に2年間留学を決意。
留学中は大学の研究施設でフィリピン・コーヒーの品種や栽培条件を学ぶ一方で、CGNのコーヒー栽培事業地を頻繁に訪れ、栽培現場の実情を学びながら、環境にあったコーヒー栽培のあり方、収穫後の加工の仕方を、農家と四つに組みながら研究。その後、様々なコミュニティで農家を対象に、コーヒーに関するあらゆる講習会、ワークショップを行った。まだまだ発展途上のフィリピン・コーヒーインダストリー成長のため、エアロプレス・チャンピオンシップで審査員を務めるなどマニラでも活躍。フィリピンでは「Hiro, Coffee Man」として広く知られるようになった。
2015年帰国後、(財)わかちあいプロジェクトの「ミャンマー国カヤ州における森林農法、有機農法による コーヒー栽培と森林保全~持続可能なコミュニティの構築」事業の指導者として、ミャンマーにも活動地域を拡大。また、認定NPO法人「ピース・ウィンズ・ジャパン」が東ティモールで実施しているコーヒーの生産性向上事業にも、コーヒー栽培指導者として加わった。
また、NPO法人平和環境もやいネットとCGNがコーディリエラ地方で開始した「アラビカ・コーヒーの品質向上のための基準づくりと普及事業」の専門家として、コーディリエラ山岳地方のコーヒー生産指導を継続。現在、拡大・発展を続けているCGNのコーヒー事業は、山本氏のコーヒーに対するパッションからの献身的なコミュニティでのボランティア指導のなしにはありえなかった。現在もアジアの知られざるコーヒーを日本のマーケットに紹介するため、精力的に活動を続けている。
2019年度、マナラボ 環境と平和のための学びデザインの「小規模農家によるコーヒー生産のための加工・運営指導プロジェクト」(世界の人びとのためのJICA基金)で精選技術指導を担当した。
・わかちあいプロジェクト「ミャンマー・コーヒー・プロジェクト報告」➡
・山本博文の北ルソン・コーヒー探訪記➡
山梨県北杜市のセルフビルドの自宅兼音楽&クラフトスタジオを拠点にする民族楽器を演奏する二人組ユニット。世界中を旅し、人と出会いながら、そこにある情景や湧き出る想いを音にのせる。多数の公演、ワークショップを日本だけでなく海外でも行い、奥深く活動の幅を広げている。フィリピン、韓国、インドネシア、台湾、タイ、そしてヨーロッパはフランスやイギリスを中心に活動、アイルランド、ルーマニア、ドイツ、スイス、リトアニアなどでも公演を行なっている。
コーディリエラ地方初訪問は、2003年1-2月。山岳地方の先住民ミュージシャンとともに山岳地方のライブツアーをマウンテン州、カリンガ州などで行った。2005年愛・地球博(愛知EXPO)地球市民村のフルムーン・コンサートで先住民族ミュージシャンと共演。2009年の第1回ユース・エコ・サミット(バギオ市開催)にはプレイバックシアターらしんばんとともにゲスト参加した。アブラ州などでワークショップも開催。CGNのアートを使った環境教育プログラムはKURIとの出会いがあって始まったといってもいい。
2010年、CGN主催のイフガオ州ハパオでの平和と環境のアートプロジェクトに参加。Jun AMamTo の慰霊のダンスとのコラボレーションで日比のミュージシャンと即興音楽演奏を行う。同時にピースバード・アートプロジェクトの展示も行った(ブログ記事➡)。2011年、先住民青少年による演劇グループAank di Kabiliganの訪日での公演とワークショップでは、カリンガ族のミュージシャン、エドガー・バナサンとともに音楽を担当した。
2017年、「フィリピン、インドネシア、日本の青少年を対象とした環境問題をテーマとした演劇ワークショップ事業」(国際交流基金アジアセンター助成)の「Balitok」制作のために、水町克が音楽指導と音楽サポートで久々にコーディリエラ地方を再訪。バギオ公演、マニラ公演、アチェでのワークショップと公演までフル参加した。2018年10月の上田市におけるイフガオ州の高校教員たちによる「田んぼ Payo-Voice from the Community」ではKURIとしてボランティア参加し、音楽で力強いサポートをしてくれた。
KURIのHPはこちら➡
シアター・プラクティショナー、野口体操講師。劇団黒テントを経て、企業組合演劇デザインギルドに所属。主に、演劇を人々の生活の中で活かし演劇の可能性を広げる応用演劇の分野で幅広く活動している。
コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)の環境教育プログラムで2012年に山岳地方で青少年と教員向けの演劇を活用した環境教育ワークショップのファシリテイタ―を務めたのを皮切りに、コーディリエラ地方での教育演劇の普及に貢献している。
「ルソン島北部山岳民族の子供たちを対象とした演劇を活用した環境教育プログラム」(りそなアジアオセアニア財団助成)のメインファシリテイタ―を2014年より3年間担当。いまやCGNの環境教育事業には欠かせない存在。2016年より、「フィリピン、インドネシア、日本の青少年を対象とした環境問題をテーマとした演劇ワークショップ事業」(国際交流基金アジアセンター助成)のメインファシリテイタ―。コーディリエラ地方で継続してきた環境問題をテーマとした演劇ワークショップを、インドネシア・スマトラ島アチェ、長野県上田市にも拡大中。
その他の主な仕事に水俣病公式確認50年事業、創作劇「水俣ば生きて」構成演出(2006)、インドネシア(アチェ)で紛争後の和解と再生にむけた青少年の演劇ワークショップ(2007〜2010)、障害のある人たちとのグループ「みなせた(水俣世田谷交流実行委員会)」(2007〜)、ロンドンでホームレスの人びととの演劇活動、および受刑経験のある女性たちの教育プログラム調査(2010〜2011)。世田谷パブリックシアター「地域の物語」ワークショップ企画進行(2014〜)、NPO法人ぷかぷか「みんなでワークショップ」企画進行(2015〜)。
ロンドン大学ゴールドスミス校芸術学修士。武蔵野美術大学非常勤講師。日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師。
ダンサー&カフェオーナー。子供のころから武道を学びはじめ、スタントマン、大道芸人を経てパフォーマーとなった。旅を続ける中で発見した環太平洋の身体感から傾舞(かぶくまい)という独自のダンスのスタイル作り出した。2001年、大阪の梅田からほど近い中崎町の古い民家を通りすがりの人1127人を巻き込んで改築し「Salon de AManTo 天人」というカフェスペースをスタート。高齢化が問題となっていた中崎町は、これを機に若者たちが小さなショップなどを開店するおしゃれな街として生まれ変わった。
Jun氏は自らの活動の場として、小さな映画館「天劇キネマトロン」、ワークショップのできるミニ劇場、ベジタリアン・レストランなど、空間を生かした新たなコンセプトのスペースを次々とオープンしていった。Jun氏の活動は中崎町の地域おこしにとどまらず、国際交流、難民サポート、東日本大震災、ネパール大地震(2015年)などの被災地支援、タイ上部仏教の瞑想会など、中崎町に集う若者たちとを巻き込んでどんどん拡大している。インバウンドブームで、アジア各国からの来訪者も激増。知る人ぞ知るアジアの若者に人気の観光スポットとなった。近年はオンライン・サロン「EART LIFE LABO」を運営し、ますます活動範囲が広がっている。
フィリピンには2008年アンゴノのパブリック・アート・フェスティバルに招待されて初来比。2008年12月、CGN主催の第2回コーディリエラ・ユース・エコ・サミット(イフガオ州マヨヤオ&カリンガ州ルブアガン)にゲスト参加。コーディリエラ先住民族独特の身体表現と民俗芸能に興味を抱き、その後はひんぱんに山岳地方を訪れ、ワークショップや公演を行ってきた。2010年1月第3回コーディリエラ・ユース・エコサミット(ベンゲット州マンカヤン&アブラ州バンゲッド)、2010年12月イフガオ州ハパオでの環境と平和のためのアートプロジェクト(➡ブログ記事)、2011年5月千住民若者たちの演劇グループ「Aanak di Kabiligan」日本公演&ワークショップのサポート、2012年5月先住民族会議Kapwa参加、ネイティブ・アメリカンの伝説の戦士デニス・バンクスとともにマウンテン州サバンガン訪問、サガダでの演劇ワークショップ、2012年11月CGN主催の環境アートフェスティバル「Kawwan di Batawa」において高校生に鼻笛によるパフォーマンス指導、2014年2月レイテ島台風ヨランダ被災地訪問と子供たちへの公演、同年4月カリンガ州ティグラヤンで天手(あまんて)のワークショップと、Unoy フェスティバルで公演など。
近年では、2018年Baguio Garden Theaterでの傾舞公演とワークショップ、同年、台風被災地支援でアブラ州トゥボを訪問。2019年5月古武道の師匠とともに山岳地方第二次大戦の慰霊の旅、2019年10月バギオ市のらくがきされた慰霊塔クリーンプロジェクトでバギオと山岳地方を訪問している。
Jun Amantoさんの活動紹介のHP➡
↑2010年バギオ市フィリピン大学 フアン・ルナホール「Yamanba」
画家。神戸の五宮神社の守り人。嵯峨美術短期大学日本画専攻。卒業後は家業の文具店や雑貨店を手伝いながらアート活動。1995年阪神淡路大震災で被災したのち、奈良、東京と拠点を動かしながら本の装丁や舞台美術や舞台衣装など活動の場を広げる。
2004年神戸に戻り、特定非営利法人芸術と計画会議(C.A.P.)に参加。2008年、インドの詩人ラビンドラナート・タゴールの思想を学ぶために、ベンガル地方農村部で留学生として約一年暮らす。2011年、スペインにて彫刻家外尾悦郎氏(サグラダファミリア贖罪聖堂主任建築家)に師事。
2014年、CGNが3年計画でマウンテン州で行っていた「アートによる環境教育プログラム」のファシリテイターとして、C.A.P.の中川博志氏から推薦を受けて初来比。バギオ市から10時間以上かかるバーリグ町カダクランの3つの小学校で、子供たちと先生たちを対象にワークショップを行った。棚田の美しいカダクラン風景と、シンプルな暮らし、シャイでまっすぐな子供たちにすっかり魅せられた。帰国後、お話会などでその経験を多くの人と共有した。2015年のCGNの「The Luplupa Villagers and the River Creatures」出版記念の原画展(Cafe by the Ruin Dua)には、作品提供で参加してくれた。
2018年4年ぶりに「演劇ワークショップでアジアの農村をつなぐ」プロジェクトの背景幕制作ワークショップのファシリテイターとして小池芽英子氏とともに来比。イフガオ州の高校生と教員を対象にしたアートワークショップをファシリテイトした。2018年10月、上田市の犀の角劇場でのイフガオ州の教員たちの演劇発表にゲスト出演。2019年12月にはNPO法人バードリサーチによるベンゲット州キブンガン町での野鳥観察ワークショップに特別参加した。
近年はトラウマ・インフォームド・ケアのためのアートを使ったワークショップを病院などで実施するなど、アートを心のケアに役立て、世の中をやさしくするために積極的に動き回っている。
2022年、マウンテン州タジャンでの民話をテーマとしたアートワークショップ(りそなアジア・オセアニア財団環境助成)のファシリテーターとして再来比。2週間にわたって滞在し、8つの小学校の生徒たちに自由に絵を描いてもらうワークショップを行った。完成した作品の何枚かを持ち帰って、日本国内でそれらの絵の展示とトークショーを開催した。
・高濱浩子さんのブログ「シャンティニケトンにて」➡
美術家。京都精華大学卒業。行きたいところや行ったところを旅先で出会った人に記してもらう黄色い地球儀「live-rally」を抱え、さまざまな地域で人々と交流しながら、その愛すべき特徴や性質を描きつづける。2000 年 から他分野の人たちとのコラボレーションによる共同制作を開始。土地土地の古着から生まれた「おしもはん」「ヒジカタハルミ」などなど、 いろいろな名前のヒトガタ人形と共に旅をし、そこから生み出される風景や人との出会いをユニークなビジュアル作品に反映している。2007年、韓国清州HIVE Campにおけるアーティスト・イン・レジデンスでの制作をきっかけに韓国のアーティストの交流とコラボ制作多数。
2012年、CGN主催の環境アートフェスティバル「Kawwan di Batawa」に、越後妻有大地の芸術祭「かまぼこアートセンター」の一員として参加し、会場に設置されたティピテントで、村の子供たちを対象にハイビスカスの花の汁のお絵描きワークショップ、コーヒーのカスを使った草木染めワークショップなどを担当。同時期に開催していたAx(is) アートプロジェクトでは、山本麻世氏とともに作品を制作展示。ダンスのワークショップをハイスクールで行った荻野ちよ氏指導のパフォーマンスでは、舞台衣装として草木染め素材の小鳥のヘッドバンドの制作ワークショップをするなど八面六臂の活躍をした。
その時のワークショップでできた子供の絵などを日本に持ち帰り、ライフワークとしている「日本コリア友好美術展」(京都市立美術館別館通路)で展示した。その後も「日本コリア友好美術展」では、タイのNGOの子供たちの作品とともに、コーディリエラ山岳地方に関係する展示を継続した。2015年のCGNの「The Luplupa Villagers and the River Creatures」出版記念の原画展(Cafe by the Ruin Dua)には、コーディリエラ地方の妖怪を描いた作品提供で参加。2018年、CGNの「演劇ワークショップでアジアの農村をつなぐ」の背景幕アートワークショップのファシリテイターとして5年ぶりに来比。2018年10月長野県上田市の街中演劇祭のプログラムにおけるイフガオ州から来日した先生たちによる演劇作品「PAYO」では、短い準備期間の中、美術を担当してくれた。その後、このプロジェクトの報告冊子の制作も行った。
2012年 第5回大地の芸術祭でかまぼこムーブセンター(新潟県越後妻有)
2017年 パフォーマンス公演「あたしの森裡(もり)」ミクスト・メディア mixed media(京都Urbanguild)
2019年 まつしろ現代美術フェスティバル(長野県松代市旧前島家住宅)
2019年 山口惠子(BRDG)、イアン・セガッラ(PETA)の演劇制作プロジェクト『ふれる~ハプロス』美術(京都E9/東京 早稲田小劇場どらま館)
ベンゲット州カバヤン町出身イバロイ族。町役場に職員として勤務しながら、若者たちの「ユース・クラブ」を主宰し、環境、文化、リーダシップなどさまざまな分野において次世代のカバヤンを率いる人材育成プログラムを行ってきた。現在はベンゲット州政府の教育関連部署(トリニダード町)に勤務。
彼のカバヤンでの活動があって、CGNはカバヤンで環境教育から有機農業までさまざまな事業を行ってきた。コーディリエラ・ユース・エコサミットなどの環境イベントの司会など、本業休んできてくれる心強いボランティアスタッフだ。野外自然教室ファシリテイター養成ワークショップや演劇ワークショップなどにも積極的に参加。ファシリテイタ―としての腕にも磨きがかかっている。
ベンゲット州トゥブライ町アンバサダー村出身。環境教育ファシリテイターとしてCGNの過去の事業に参加。その後、双子の母となり子育てしながら、環境教育ワークショップにファシリテイタ―として参加。